私にとっての「生きやすい場所」 - 「その他大勢」か「エイリアン」か

現在、拠点になっているルーマニアを離れてロンドンに1か月ほど滞在しているのですが、ストレスフリーの日々で、毎日とても生産的にかつ快適に過ごせています。

それは食べ物についても言えることで、ロンドンはクオリティの高いラーメン、寿司のみならず、日本の家庭料理、そして日本食材へのアクセスが本当に簡単で、種類も本当に豊富です。ふと、「あ、日本食食べたいな」と思った時にすぐにそれにありつけることができて、(価格はかなり張りますが)日本食への近さという意味では日本とあまり変わりなく生活できる街だなあとしみじみ思います。

この記事では、ロンドンの日本食レストランの評価ではなく、自分にとって「生きやすい場所」とはどういう場所か、ということを、ロンドンの日本食レストランを通して考えてみたいと思います。

 

先日、ロンドンにある「Kintan」という焼肉屋さんと、「So Restaurant」という日本食レストラン、「金田家/Kanada-Ya」というラーメン屋さんに行ってきました。

「ちょっくらロンドンで日本食レストランがどういう感じで展開されているのか見てこよう」というぐらいの興味本位で立て続けに日本食レストランに行ってきてみたのですが、

そこで思ったこと: ヨーロッパ人のお客さんの割合が結構高い

 

7年前のヨーロッパの日本食レストランの主な客層と言えば、そこに住む日本人か、他のアジア人(中国人、韓国人etc.)が圧倒的多数で、たまに日本人のパートナーと一緒のヨーロッパ人もいるかな、という感じでした。

でも、今回は驚くことに、どこのレストランに行っても、日本人をはじめとするアジア人とヨーロッパ人の割合がだいたい半々か、時間帯によってはヨーロッパ人の方が多いこともありました。

つまり、かつての日本食レストランは、日本人またはアジア人のためのホームを思い出すための「懐かしい場所」であったのに対し、現在は、もちろんかつての客層も依然として強いですがそれにプラスして、日本人とヨーロッパ人のカップルや、単純に日本食や日本が好きなヨーロッパ人のみのグループがくる場所に変容していたのです。

イギリス人によると、例えばインド料理、中華料理のお店は、かなり前からイギリス国内では市民権を得た料理として受け入れられてきたみたいですが、日本料理も徐々にその範疇に入ってきたと言えるのではないでしょうか。とは言え、イギリス人にとって歴史的なかかわりが深くて長いインドの料理と比べると、中華料理は好む人とそうでない人がくっきりわかれるそうなので(日本で「パクチー食べられる人?」と聞くのと同じように、「あなたは中華いける派?無理派?」というような感じで。)、日本食が中華料理の普遍さに並ぶにはかなり時間がかかるかもしれませんが。

 

前置き(?)が長くなりましたが、ここからが本題です。

そこで今回確信をもったのが、日本人としてのアイデンティティをもつ者が「異質なもの」としてあつかわれることがないというのが私のスレスフリーと感じる大きな要因だったということです。

例えば、私が今拠点を置いているルーマニアには、アジア人はおろか、ヨーロッパと地理的にも比較的に近いアフリカ系の黒人にさえも街中で見かけることはほぼ皆無です(ルーマニアからの移民、ルーマニアへの移民については他の記事で書くかもしれません)。それには、発展途上であり、生活水準が高くない国にわざわざ移民にくるメリットが大きくないということに加えて、1989年までの40年以上に渡る共産主義時代には、ルーマニア人の海外渡航及び外国人のルーマニア入国は厳しく禁じられていたという歴史が関係していることは間違いないと思います。言うなれば、ほんの数十年前までルーマニア鎖国状態だったわけです。

開国して30年足らずの国民のマインドセットはというと、やはりそれに見合っただけのもので、異なる文明圏/文化圏から来た人に対しての耐性がありません。一般的に、日本人の国民性について語られる際にも「200年以上鎖国していたから」「島国根性が強いから」というフレーズが決まり文句のように使われますが、私がルーマニアで経験したことは、日本の同じレベルで比較すると比べ物にならないぐらい閉鎖的だと言えると思います。

私が住んでいるのは、ドラキュラで有名なトランシルバニア地方にあるルーマニア第二の都市(クルージュ・ナポカ、以下「クルージュ」)なのですが、例えば、道を歩いているとかなりじろじろ見られるのはもちろんのこと、バスでは私のことをいわゆる「目が点になる」状態で頭のてっぺんからつま先までなめるように見てきた人にこの2年間で何人も遭遇しました(奇抜な恰好をしていたり変な物を持っていたわけでなく、いたって常識の範囲内の身なりで普通の行動をとっていました。しかも引きこもってた時もあることを考えると、私の外出頻度はそんなに高くない中、何度もそういう場面に遭遇しています)。

また、お店でルーマニア語で何かを注文した際にも、1回目はアジア人の顔が珍しすぎて目が点で顔を凝視され注文を聞くことさえしてもらえず、「あ、すみません、で、何が欲しいんでしたっけ?」と注文を2回言う羽目になるということもしばしば。

これを日本第二の都市大阪と比べると差は明らかです。大阪でヨーロッパ人やアフリカ人がそこまで道を歩いていてじろじろ見られることはないでしょうし、日本語で何かを注文してもそこまでのリアクションがかえって来ることはほぼないと言っていいと思います。実際に、私の外国人の友人たちも、「日本の田舎にいくとそういう扱いを受けることはあるけれども、大都市ではまずない」、と言っていました。

ルーマニアの状況や歴史を鑑みると、そういう対応になってしまうのも頭では理解できるのですが、ストレスがたまっていたり疲れているときにそういうことに遭遇すると、「この社会では私は完全にエイリアンで、受け入れられていないんだな」というやりきれない気持ちになります。

道を歩くだけでもストレスフリーではない状況だったので、家から出るのも億劫になってしまって引きこもりがちになっていた時期もありました。また、新しいルーマニア人に知り合う度にお決まりの「なぜ他の惑星ぐらい文化が違う、しかも地球の果てみたいに遠い日本出身の人が、この国で何をやってるの?」というノリで根掘り葉掘り色々聞かれます。私個人としては、会話は相手の考えにフォーカスする傾向にあり、そのように相手との違いばかり強調したり、その違いをベースにした会話はしないので、そういう価値観のズレから、ルーマニア人と知り合うことにも疲れてしまったこともありました(追々他の記事でこの価値観のズレについては書きたいと思います)。

恐らく気にしない人はこういうことは全く気にしないし、むしろそうやって特別で珍しい存在扱いをしてもらえることに喜びを感じている日本人にルーマニアで出会ったこともあります。また「まあ気にはなるけど、そんなにストレス原因ってほどじゃないかな」という人もいて、本当に感じ方は人それぞれです。残念ながら私のストレス原因はそこにあるらしく、ロンドンには年に数回くる度に「その他大勢」として扱ってもらえるとてつもない解放感を毎回かみしめていて、おそらく普通に道を歩いてる時でさえも笑顔になっていると思います(笑)

ルーマニアの首都ブカレストでは違うかもしれませんが、私が住んでいたクルージュでは、数少ない日本食レストランの中はいわゆる「異国情緒あふれる」現実離れした異空間でした。でも、ロンドンの日本食レストランは、看板は日本語でかかれているところもありますがいたって「普通」の店構えで、内装も「普通」、メニューが日本食なだけ、という感じです。つまり、「特別な食べ物」を提供する異空間ではないのです。クルージュ・ナポカの日本人が食べられるレベルの日本食レストランの客層もほとんどが西洋人(今まで見たことあるのはアメリカ人、フランス人、ドイツ人等)で、ルーマニア人はクルージュの一部のかなりの富裕層だけだけです。このことからも、クルージュでの現地人の日本食/文化の需要度はかなり低いです。

 

だらだら思ったことを書いてしまいましたが、何が言いたかったかというと、①外国で暮らすときの自分のストレス原因は、現地の人々の異文化受容度によるということに今回ロンドンに来て改めて感じたということ。②その各都市の日本食レストランの見せ方や客層を見ると、その土地の異文化受容度がなんとなくわかるということ(なぜ異文化受容度の高さが大切なのか、その時なぜ日本文化を基準にするのか、ということについては追々書く予定です)。の2つです。

 

よく日本政府が「世界では日本食人気が高まっている」とかなり協調しますが、私はそれを「税金を日本食の海外プロモーションにもっと費やすための正当化のために言ってるだけだろう」とうがったとらえ方をしていましたが、今回7年のブランクがあって久しぶりにロンドンで日本食レストランにいって、日本食の現地人への目を見張る人気の高まりを実際にこの目で見た感じがしました。

 

イギリスで多く展開されている日本食レストランというより出来合いのお弁当や寿司を売っている総菜屋さん/ファストフード店のような「わさび」という所も、7年ほど前は現地のアジア人が主な客層でしたが、先日久しぶりに行った時には、アジア人の客は私が一人であとはヨーロッパ人が8~10人ほど、みんなお箸を使って食べている状況でした。店内で唯一残っていたカツカレー丼を食べながら、何人(なにじん)がどの都市で何料理を食べてても珍しがられないって素晴らしい、と思って意識が宇宙に飛びそうになったのはさておき、将来は、日本以外に住むのであれば、自分を「エイリアン」ではなく「その他大勢」として扱ってくれる場所に住もう、と思いました。

きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!

5月2日(水)の夜に、黒柳徹子さん「窓ぎわのトットちゃん」を読了して、久しぶりに大号泣。

おかげで翌朝は、目が腫れまくりでした。 

この本、1981年に発売されてからというもの、今でも老若男女問わず読まれていて、日本国内で「戦後最大のベストセラー」と言われている本らしいです。

この本の存在はずっと知っていたものの、なぜか「読んでみよう!」という気に今までならずにここまで来てしまっていました。今このタイミングで読んでみよう、と思ったのもなんかあるんでしょうね。

読んだことのない方のために、本の内容はamazonによるとこんな感じです。

 

「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!」。小林宗作先生は、トットちゃんを見かけると、いつもそういつた。「そうです。私は、いい子です!」 そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。――トモエ学園のユニークな教育とそこに学ぶ子供たちをいきいきと描いた感動の名作。

 

この、小林先生の「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!」という言葉が出てくるたびに涙が止まりませんでした。

人が泣くときって意味があるらしいんです。

よく、「涙は心の汗」と言われますよね。私はもともとあまり泣いたりしない人間だったので、「『心の汗』って単純に『感動する』って意味で使われてるんだろうな」という浅いレベルでの理解しかしていませんでした。

でもここ最近、自分の内面に正面から向き合うようになってからというもの、「インナーチャイルド」や「前世」、「魂」というようなことについて考えることが増えて、インナーチャイルドや前世に関係することに心が触れると、人間って泣くのではないかと思い始めたんです。

今回は、確実に私のインナーチャイルドが泣いていました。

 

私は、小さい時、よく「変わってるね」、「面白いね」と周りから言われていたのですが、実際のところ、トットちゃんほど「変な」子ではなかったと思います。

学校や家族関係を通じて、日本社会で許容されるレベルまでに私の個性は曲げられて育てられたんだろうと思います。社会に受け入れられないほどの「変な子」にならないように。

私自身がそんな感じに育ったばかりに、学校や家庭で個性をそのまま受け入れられながら育っているトットちゃんを見て、私の心は汗をかいたんでしょうね。

トットちゃんのお母さんは、トットちゃんが委縮しないように、娘のすることを否定することなく、基本的に全てを受け入れて育ててきたというのが物語からとてもよく伝わってきました。

 

自分もトットちゃんみたいに自由に育てられたかったと思ったのに加えて、この物語を読んで感じたのは、この物語にでてくる実在の人物たちの行動力というか自由に生きている素晴らしさです。

トットちゃんの通うトモエ学園の校長先生の小林宗作(そうさく)先生は、実在の教育者で、ヨーロッパ(スイス、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス)で幼児へのリズム音楽教育を学び、帰国後にリトミックをベースにした幼小一貫のトモエ学園を運営されていた方だそうです。戦中、戦間期の日本では、リズム教育をベースにした学校は皆無だったであろう中で、そのような新しいことをご自身のイニシアティブではじめられた方。

 また、小林先生に影響を与えた石井獏さんもヨーロッパやアメリカで現代舞踊を研究した人で、小林先生がトモエ学園を始める後押しをした方のようです。戦中、戦間期に「モダンダンス」の先駆者となり、日本での「新しい舞踏」の先駆けとなった方とのこと。

 

実のところリトミック教育を私も幼稚園で受けているので、ちょっと調べてみました。リトミックは、スイスの音楽教育家であるエミール・ジャック=ダルクローズによってはじめられたものらしく、日本にも「日本ジャック=ダルクローズ協会」なるものがあるようです。

その協会のHPによると、リトミックとは・・

 

リトミックは、スイスの作曲家、音楽教育家である エミール・ジャック=ダルクローズ(1865年~1950年)によって創られた、音楽を総合的にそして合理的に学ぶための音楽教育法です。

 

全身を使って音楽を動きで表現するリトミックと、音楽を聴く耳を育てるソルフェージュ、即興演奏を組み合わせ、音楽の諸要素を体験する事を教育法の原点に置き、音楽理解を深め、動きによって得た筋肉感覚を生かし、その積み重ねにより自己を開放し、磨かれた感性をもとに、自己音楽表現を可能にする事がこの教育法の目的です。

 

リトミックは、大変柔軟で多面的である為に、音楽教育の分野に留まらず、一般教育(特に幼児教育)表現活動(演劇、オペラ、ダンス等)音楽療法等、多岐にわたり影響を及ぼします。とりわけ聴感覚は脳の成長に大変大きな影響がある事が生理学的にも実証されており幼児期にリトミックのレッスンを受け、 身体と聴覚を育てる事は、幼児の成長に非常に大切な事です。

 

ダルクローズが自分の教育法を説明するように頼まれた時、彼は、「ある生徒がレッスンで得た印象と成果を基に、リトミックの意義を説明する事はたやすい事だが、 より深いリトミックの理解の為には、自身がレッスンを通してリトミックを体験する事が不可欠である」と言っています。

 

www.j-dalcroze-society.com

 

 

幼稚園生の時はもちろんリトミックとは何ぞやということがわかっていたわけもなく、「なんかカタカナの名前の授業で、音楽に合わせて体を動かすやつ」というぐらいの漠然とした認識でしかいませんでしたが、今こうやってその意味を考えると「そうだったのかー」と納得できました。

この物語を読んで、自分の感動ポイントを整理してみると、「自由」と「自分の感性を信じて、社会のレールに乗っからずに生きてる人」と言えるかもしれません。

私も自分のインナーチャイルドを癒しつつ、自分らしく自由に楽しく生きられるよう方向付けをこれからも続けていこう、という思いがより一層強くなりました。